2011年5月8日日曜日

「させていただく」言葉のあいまいさ

「防潮堤の計画を立てさせていただいている。」これは、最近、東京電力の関係者が発した言葉だ。もうかなり前から「させていただく」言葉が気になって仕方がない。「歌わせていただく」とか「出演させていただく」というような言い方は、最初は若ものやタレント特有の言葉かと思っていた。それを嘆いても年長者の繰言と思われるのも癪で、じっとがまんしていた。けれど、この言葉はもはや、若ものだけが発する言葉ではないようだ。政治家は、「努力をさせていただく」や、「検討させていただく」を連発し、先般の選挙では、「立候補させていただく」と発言していた候補者もいた。友人に言わせれば、もはや、この言葉の繁殖は止めようもないそうだ。気にしない方が精神衛生によいと忠告された。

でも、どうしても気になる。なので、気になる理由を考えてみた。私の解釈が正しいかどうか分からないが、「させていただく」には、媚びや、不必要なへりくだり、あるいは責任逃れの匂いを感じる。辞書によれば、「させる」は「他人にあることをするようにしむける、または命ずる」という意味を持つ。それに上位の相手に対して使う丁寧語の「いただく」というのが付くわけだから、この表現には「(えらい方に命ぜられて)防潮堤の計画を立てております」、あるいは、「(国民の皆さまのお許しを得て)立候補いたします」という風なニュアンスがある。ちなみに、この「させていただく」という言葉をそのニュアンスともども、外国語に翻訳できるのだろうか。翻訳の達人に聞いてみたいが、まあ、むずかしいでしょうねえ。

原発の安全性のために防潮堤の計画を立てるのは、東電よ、あなたの責任であり義務でしょうが。誰かに命ぜられてやるわけではないのだから、簡潔に「防潮堤の計画を立てています」と言えばすむことだし、その方が責任の自覚が感じられ、聞いていてよほど気持ちがよい。選挙に立つのだって、政治家になりたいという自分の自由意思なのだから、「立候補いたします」と言えば充分で、それに言い訳は必要ない。自分の意思や義務を明確にしないで、誰だか分からない「世間」の「空気」にしたがって行動するように見せかけるこの言葉に、逃げ道を作っておくような精神の弱さと退廃の匂いを感じるのは私だけなのだろうか。

それにしてもいつから、このような言い方が流行ってきたのだろうか。「させていただく」という表現を使うのが適切な場合はもちろんあるが、「する」、「したい」の代わりに、「させていただく」と言うのは、昨今の風潮のように思える。多分、テレビの影響によるポピュリズムと関係があるのかもしれない。「させていただく」は、あまりに頻繁に使われるので、もはやこの表現を使わないと、ぶっきらぼうに聞こえるほどだ。言葉は変化して行くと言えばそれまでのことかもしれない。けれども、本来なら、簡潔明瞭に意思を表しえる言葉が、このようなあいまいな言い方に取って代わられるのを見るのは残念なことだ。なぜなら、それは力強い精神を示しているとは思えないからだ。私たちは、今こそ力強く生きていかなければならない時を迎えているのにもかかわらず。